ちまめ的視点

<3.11>

意識してネットから離れているここ数日。
ある人からのLINEで知りました。
Twitterを開けると多くの人が
この話題や記事について呟いてますね。

今日は、私が考えてきた想いについて
一部、ここで文字にして残しておきます。

8年前、その時。

私は大阪で勤める会社員でした。
ちょうどその時、電話の最中。
電話口の向こうは鹿児島。

遠く離れた大阪でもゆらゆらと
気持ち悪い揺れ方をしました。

事務所の中では周りが騒然とし机の下に隠れ
私の通話相手は何が起こってるのか
全くわからないので平静を装いながら
会話を続けたのを覚えています。

電話を切ってからすぐに
宮城に本社がある担当の得意先に電話。
もちろん、繋がりません。
仙台にも関連会社があったので連絡。
当然、連絡はつきません。

結果、数日後に全ての人が無事だったと
確認はできたんですが。。。

これって、海外での事故や災害やテロ。
「日本人は含まれていません。」と
いうのと同じ感覚。
だって、実際に多くの人が被害を受けています。
そして、多くの方が命を落としてます。

ここで、そういう議論をするのが本題ではないので
終わりにしますが気持ちがカサカサしたのを
今でも鮮明に覚えています。
(いつ起こる災害や事故でも同じです。)

ちょうど7年前、気仙沼へ。

細かい話は省きますが、
2012年3月付けで会社を退職。
実際の出勤は2月後半まで。

そして、紹介でSWTJの活動に参加。

SWTJとは
Solidarity with Tohoku,Japan
京都を拠点とした東北復興支援活動を行っている
ボランティア団体です。

一番、最初の活動参加は
2012年3月鎮魂音楽キャラバン。

その後も
・サマーキャンプ
・コミュニティスペース建築
・全国各地でのイベント出展
などなど。

その時々で、参加できるメンバーも違うし
移動して向かう先もそれぞれ。
たまたま運転免許を持ってた私がこのバンを
運転することも多々。

復興マルシェ(市場)や仮設住宅など
多くの場所を訪問しました。
また、逆に気仙沼や石巻などから多くの人が
京都を訪れてきてくれました。

その中で聞く話の数々。
私では想像もつかないような壮絶な現実。
「寄り添うには想像力がいるんだよ。」
そう言ってた、元鮪船の料理長。

高台に登って避難しようとした人の話。
夜が寒くて凍えた話。
トイレに行きたくてもいけなかった話。
多くの身内を亡くした話。

自分で経験していないことをわかろうとしても
どんなに想像力を働かせても、
当事者が放つ一言一言に衝撃を受けました。

何もできないのかもしれない。

ずっとずっと、近づけば近づくほど
そう感じてました。
でも、皆声を揃えて
「また、来てね。」と言ってくれました。

私ではないですが
ちょっとしたトラブルで「もう、来ない!」と
言葉を発してしまった人がいました。
その時の周りの人の悲しそうな顔。
あの表情が一番忘られません。

キャンプや炊き出し、水遊びやボールで
子供たちがワーワー嬉しそうにはしゃいでる姿。
すごく印象的だったのに、
悲しそうな表情には一瞬で上書きされてしまいます。
それくらい、強烈でした。

何もできないなりに、何ならできるのか?

天災も人災もいつ、起こるかわかりません。
自分自身にも、今まさにこの瞬間にやってくるかも。
そんなのは誰にもわからないこと。

だからこそ、過去の経験からの知恵。
当事者たちの声に耳を傾けること。

今の日本の政治はどうにもならないかもしれない。
でも、声をあげるのをやめてしまってはいけない。
私はそう思っています。

昨年だけでなく、ここ数年は集中豪雨などの天災も
各地に大きな被害をもたらしています。
誰が雨で建物が崩壊するなんて考えるでしょう?
大都市の中心にある駅が水びたしになるなんて
誰が予想できたのでしょう?

そんなとんでもない事が起こりえるのが現代。
では、その上で何ができるのか?
何ならできるのか?
そこをしっかりと考えるべきなのかもしれない。

<3.11>
今日、私が考えていることの一部を書き記しました。