蔵元紹介

川鶴酒造株式会社<香川>

良くどこの蔵元さんが好き?と聞かれます。

うーん、色んな意味で好きな蔵元さんがあるんですよね。
◆初めて訪問した酒蔵
◆初めて日本酒ってこんなに美味しいの?と思った銘柄の蔵元
◆初めて自社田イベントに参加させてもらった蔵元
◆初めて日本酒の会を企画した蔵元
◆初めて泊り込みで蔵作業をさせてもらった蔵元
などなど。

どの蔵元さんも思い入れいっぱいですが、
私日本酒の事を全く何も知らない時から変わらずお付き合いをしてくれている
香川県観音寺市にある、川鶴酒造は特別な思い入れがあります。

つい先日、知った事実。
今年26歳になる娘がお腹の中にいる時に他界した大好きなおじいちゃん。
実は観音寺の出身だとか。
そんな血筋が呼び合うのか???
年に何度も蔵を訪問し、社長をはじめ蔵の方達とも色々と話合える仲になりました。

そんな私が川人社長や蔵の方から聞いた話と、自分なりの目線を交えて
「川鶴酒造」を紹介します。


【川鶴(かわつる)酒造株式会社】創業:1891年(明治24年)

初代川人清造氏が財田川に一羽の鶴が舞い降りた夢を見たことから命名したとされる川鶴酒造。平成23年で創業120年を迎え、現在は6代目蔵元「川人裕一郎氏」がその想いを引き継いでいます。

1960年(昭和35年)には業界初の厚生大臣賞を受賞。

全国新酒鑑評会においては現在まで、数多くの金賞を受賞し続け、酒質や製造技術の高さには長年に渡り定評がある酒蔵です。

川人裕一郎氏は東京農業大学農学部醸造科卒業後、アサヒビール株式会社、旧国税庁醸造試験場での経験を経て平成9年より本格的に川鶴酒造へ。

6代目就任以降を「第2創業期」と位置づけ、伝統を重んじる一方で新たな酒造りにも挑み始めました。

「歴史を刻むためには、変化し続けないといけない。守るべき味は守り、変えるべきところは勢いよく変える。先人の想いと感謝の心を忘れずに」。

日本酒の本質が問われる今、社内の意識改革を進め、一人ひとりが創造性と自主性をもっていないと時代を乗り切れません。その意味で今が「第2創業期」なんです、と川人裕一郎氏は語ります。全社で知恵と努力を結集し、さらなる飛躍を目指し続けています。

【日本酒離れ】

日本酒は「国酒」なのに現在、7%程度のシェアしかありません。あまりにも低すぎます。戦後から続いた、造れば売れるという時代は終わりを告げました。

級別廃止や表示の複雑さなども日本酒そのものをわかりにくくしている一つの要因でしょう。人はよくわからないものは敬遠してしまうのです。

「純米・吟醸・本醸造」それが何?どこまで伝えられている?ほとんど認知されていないと言っても過言ではないでしょう。

異文化が流入し、アメリカナイズされ、醤油や味噌など日本特有の調味料から、濃い味付けが主流となって、日本酒との相性が難しくなったことにも問題点は見つかります。
日本古来のものが置いていかれ、忘れられがちになっているのが現状です。

【香川県内での地酒の位置づけ】

香川県内での地酒の消費は26%ほど、同じ四国の高知県内では90%近い量が地元で消費されているというデータがあります。

香川県の蔵元は現在、酒蔵免許を持っている6蔵のみ。30年前は30~40蔵存在していたのに、短期間で酒蔵は減り続けています。

市場的には酒蔵が少なくなった今、地元香川で消費してもらうには川鶴という単一銘柄だけでなく、蔵の規模の大小に関係なく、ガッチリと手を組んで酒造組合などの組織を通して、地酒の良さを認知してもらう活動が必要だと川人氏は感じています。
まずは香川県民の方に地酒を、香川の日本酒を飲んでもらいたい。

川鶴酒造はなぜ、観音寺の地で酒造りをしてるのか?の存在意義を問います。
社員達とともにそれをじっくりと考えて、まず県民の皆様に地酒の良さをわかってもらう。

地元の産物、料理を含めてみなさんが知らない香川県の良さを再認識してもらい、日本酒の新しい価値が食材を通して伝わらなければ地酒の復活はないと思っている、と語ります。

【酒造りは米作りから】


また「酒造りは米作りから」という考えのもと、1999年、本社に隣接する3反ほどの田んぼで酒米「山田錦」の自家栽培をスタート。
酒造りにとって一番大切なお米を知り、農家さんの苦労を知り、収穫の喜びを実感して感謝することは重要です。
いい原料がないといいお酒は造れません。酒米作りは繊細で難しく、栽培方法を変えるといった実験も行っています。
毎年、試行錯誤しながらいいお米を収穫できるように、実験田という位置づけで手作業による田植えから稲刈りまで、川鶴酒造の活動に賛同してくれる100人前後のお客様や関係者で毎年行っています。
(2017年度は稲の生育状況を第一優先にする為、稲刈りは自社にて行っています。)

“顔の見える蔵”であり続けたいという思いもこの活動に込められています。

「米の旨みを最大限に生かした酒質」を追求する川鶴酒造としての考え方や、日本酒造りにはこういう苦労や知恵、経験が必要なんだと呑み手の方達にも知ってもらえれば嬉しい限りです。

【日本酒が広がるために】

日本酒をあまり手に取らない若い人たちにどう訴求するかなど課題は多いですが、お客様の意見を一番に、常に消費者の視点をもって酒造りをしています。

川鶴酒造の酒を飲んで笑ってくれる顔を見るのが何よりうれしい。“飲んでほっと疲れを癒して、さあ明日も頑張るぞ”と活力が漲る酒を造りたいと思っています。

【地元産品との共存共栄】

日本酒と地元産品をコラボさせる新たな試みにも挑戦。2009年には地元産の季節の果物を日本酒に混ぜ込んだフルーツリキュールを発売し、若い世代を中心に好評を得ています。さらに2010年には、観音寺特産のあぶったイリコを日本酒に漬け込んだ「炙りいりこ酒」を発売。イリコのうまみが酒に溶け込んだくせのない味がヒットし、2011年のかがわ県産品コンクールでは最優秀の知事賞に輝きました。

120年育んだ伝統の味に、時代のニーズに応える磨きをどうかけるか、日本酒復権を目指す6代目当主の挑戦は続きます。

【「和醸良酒」で求められ続ける蔵に】

これまで続けてこられたのは、先人の数々の苦労と地元のお客様の支えがあってこそ。それに尽きると思います。今後も必要とされる蔵にならなければ。そのための理念として「和醸良酒」を掲げる。良い酒を醸すには、蔵人が心をひとつにして取り組むという意味。「会社の皆が心をひとつにして、同じ目標に向かって酒造りをしなければ。それがパワーになる。本気の酒造り集団としての誇りを持って、一人ひとりが主役。先代から受け継ぐものに、隠し事は一切なし。技術は蔵でなく、人に伝えるものだから。今後もみんなで議論しながら旨い酒を造っていきたい」

【観光資源が豊富な香川からの発信】

香川は支店経済であり、県外からの来られる人が多い県でもあります。香川に来てこういうお酒があったよ、香川のお酒って美味しかったな!と思ってもらえるように業界が一体となって打ち出していかないといけません。当然一番お客さんに近い料飲店さん、小売店に地酒の良さをもっともっと打ち出してもらえるように、造り手として努力しないといけないと日々考えています。

【「食」の中の「酒」という位置づけ】

昔の日本酒は男の酒というイメージがあったが、今は女性の方も日本酒を飲む人が増えました。女性のほうがより味に敏感だと思う事も多いですね。

女性は食べるのが好きな方が多いので、食べる時にいろんなアルコール(日本酒を含めて)を選択します。「この料理には日本酒だよね。」と、いう会話が女性の口からよく聞きます。

女性が飲むので、男性も飲むという部分が少なからずあります。もっと自分の感性を大事にして、これだ!と思うお酒があればそれをいろんな料理と合わせて飲む機会を増やして欲しいです。今後は、若い世代の男性にいかに飲んでもらうか、という今までとは違った大きな課題に取り組んでいかなければならない、新時代に突入しました。

これだけ日本酒が低迷しいている中で、首都圏に行くと燗酒女性をよく見ます。飲食店さん自体が女性をターゲットとした店づくりやメニューが増えているのでしょう。

【今後の川鶴酒造】

『川の流れのごとく、素直な気持ちで呑(の)み手に感動を。一日の疲れを癒し、明日への活力を見いだせる旨い酒を造るのが私たちの使命です。』
とは川人氏の言葉。

120年以上も地元の人に支えられて今があります。地元に感謝し、還元していかないといけない。という事はやっぱり地元の人に飲んでもらいたい。
香川の人が県外に行く時に「これが香川の地酒だよ!」と胸を張ってどんどん持っていきたくなる酒を造りたいと思っています。

今後は、全国的にもレベルが高いと評される四国でブランドロイヤリティを高め、「四国に川鶴あり」と評される蔵を目指す。日本酒を醸す伝統技術の素晴らしさを伝え、「造り手の顔が見える蔵」となり、今以上に必要とされる、地域になくてはならない蔵に成長したい。

常に地元への感謝の心があるからこそ、自らが関わる日本酒だけでなく、【土地】【人】【米】【地元特産品】にこだわり続けた形が今の川鶴酒造の姿なのでしょう。